7.AP1ダンパー開発

2004年
〜2005年
全日本ドライバー、アルボーの柴田選手の車を譲りうけたTTサポートドライバーからこの物語が始まる。

まずは譲り受けた状態でダンパーも他社のまま練習走行に赴いてもらい、感想を聞く。
そして一から装着されていたダンパーを外して減衰力を測定する。
他社のデータをアペックスのダンパーに数字だけ移植しても全く乗り味が変わってしまうことはいろいろな車種をセッティングしてわかっていた。
なので元仕様としてベース的に先データを保管。聞いた感想とベースデータを元に改めてN1ダンパーで仕様変更をする。
硬いかな...?
しかし予想通りドライバーの感想は
「硬い。でも乗りこなせればこれもありかな。」

「これもあり!?」

試行錯誤の始まりである。


S2000はボディ剛性が弱い。
譲り受けた車は全日本を戦ってきた車だけあって綿密なボディ補強がなされていた。

車体の「ヨレ」を無くすとS2000は途端にピーキーな挙動特性を示す。
どこまでもインに向くフロントの操舵性。
そのステアにシビアに反応するリア。
ドライバーが車をまっすぐ走らせるにはもっとゆっくりと動く足が必要だった。
限界をあげてゆっくり動かすには....
だから全日本車はほとんどバネレートが前後20K前後と硬い。 

しかし裏腹にピーキーさも増す。
悩みどころであった。

「硬いけれどもこれもあり」
と言ったサポートドライバーの言葉がずっとひっかかていた。

ためしにリアの伸びを弱くしロールを作ってみた。
弱プツシングアンダーのあとオーバーが来易く、やはりピーキーさは変わらない。

ん、待てよ!?
パイロンコース限定ならもっと柔らかくていいのか?
前後の縮みを柔らかくしてみるとピーキーな車の動きにだるさが生じてきた。

これが方向性だ!

試行錯誤の末、あまりフロントの減衰力を急激に立ち上げず、リアの縮みにしなやかさを作った仕様に
サポートドライバーは
「全開率が上がって踏み易い」
とOKを出した。


2004年関東ジムカーナ選手権N3クラスチャンピオン
2005年関東ジムカーナ選手権N3クラスチャンピオン


FD3S全盛期の中、ドライバーはS2000で堂々と連続チャンピオンをもぎとった。
2006年 この年は
さすがにN車規定で3年も経つとライバル達もFD3Sをそつなく乗りこなすようになり、パイロンキングであるチャンピオンも苦戦を強いられ始めた。

「もっと暴れないようにしたい」
やはり車の悩みはここに尽きる。

立ち上がりで暴れない事を目標にフロントの減衰を小変更したが、今度は進入で曲がるが脱出でアンダーを待つ、という症状。
またもや前後のロール量があっていない...。

コーナーでは更なるマイルド特性を目差し、逆にS2000のよいところを生かすような回頭性、サイドターン時の旋回スピードに重点を置いて前後とも仕様変更。

2006年関東ジムカーナ選手権N3クラスチャンピオン
2007年 しかし まだフロントが定まらない
何度も18Kと16Kのスプリングを付け替え、減衰クリックを極端に変えて方向性を見るのだが、レートを上げると進入のキワに自由度が減り、レートを下げると進入は楽になるが脱出でわずかにロールが残る。
車のロールは対角線で起こる。
フロントが定まらない場合の半分の理由はリアに起因する事もある。
リアをわずかだけ縮みを硬く仕様変更した。
と同時にドライバーは使用タイヤメーカーを変更した。

シリーズ戦後半
あれほどドライバーを悩ませたピーキーさがぴたりと止まった。

前半シリーズに出場していなかったためにチャンピオンは逃したが、サポートドラはきちんと仕事をした。

2007年関東ジムカーナ選手権N3クラスシリーズ2位


「良く曲がる特性はそのままにリアのピーキーさをできるだけ減少させたS2000の特徴をいかしきったダンパー。」

パイロンコースでのS2000のセッティングはとりあえず完成形を得た。
2008年 S2000はドライバーの変更ととに全日本の舞台に再び戻る。
ゴムアッパーマウント&スプリングレートはそのままでSA2車両へと吸排気のチューニングがなされた。

全日本はメインがサーキットである。

交代したドライバーは開口一番こういった。
「トラクションが無くて乗りづらい」
彼は10年間FFにしか乗った事の無いドライバー。
ステアリングが駆動しないFRにステアからのトラクションは無い。

こうして新たなセッティングとドライビングスキルの狭間と向かい合わせになり
新たな困難の年がはじまった。

つづく。